老朽化のため敷地内で建て替え工事を進めていた呉市の新市庁舎は、
2015年12月に竣工し、2016年2月から業務を開始しました。
それからすでに4年経過していますが、このブログでも一度建設中の状況をお伝えしたことがあり、
今月がそれ以来の呉市訪問だったので、完成した姿を収めてきました。
先日更新した呉駅改札リニューアルの記事。
5年前に取材した呉市新庁舎。
新市庁舎は地上9階建ての「庁舎棟」、4階建て「議会棟」、3階建ての「市民ホール」、6階建ての「公用車駐車場棟」
の4棟で構成され、総延床面積はおよそ3万8,000平方メートルに上ります。
建物はBCP対策としてで、免震構造が採用されました。
事業費は約130億。
2010年度(平成22年度)から年5億円の建設基金の積立を始めていた他、
平成の大合併による合併特例債も活用しました。(返済の7割を国が負担)
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素材にまでこだわる 堂々たる重厚な外観
【五洋建設株式会社】:呉市新庁舎建設工事
施工を請け負ったのは、まさしく呉が発祥の地であり、今日の準大手ゼネコンに成長した五洋建設です。
マツダスタジアム(広島市民球場)の施工にも携わりましたね。
配置図。
蔵本通りに面する「庁舎棟」側から見ていきましょう。
北東から。全景です。
明治の近代建築をも思わせる存在感のある建物です。
最上部やエントランスの庇を支える列柱。
柱や外壁には御影石が用いられています。議場の中の柱は呉市倉橋島の「桜御影」が使用されているそうです。
これまで、近隣市自治体の建て替えられた庁舎はいくつか見てきましたが、
間違いなくこの呉市役所が一番重厚さを持っていますね。
この記事の最後に、取材した他の都市の庁舎の記事をまとめておきます。
メインエントランス。
立派な列柱に巨大な雨除け。迫力を感じます。
南側から。
同じ角度から5年前に撮影したものです。
右奥に、旧庁舎がまだ建っていた事が分かります。
北側に回ってきました。
手前の駐車場部分は、旧庁舎が建っていた場所です。
旧庁舎は呉で製造された戦艦大和がモチーフとなっていました。
庁舎棟の西側に隣接する低層の建物は「議会棟」。
更に西側は呉市中央公園が立地しています。
吹き抜けのシビックモールが貫く開かれた庁舎内
先程の蔵本通りに面する東側のメインエントランスから、内部に入ってみました。
「市民ホール棟」はネーミングライツにより、「新日本造機ホール」という愛称がつけられています。
エントランスを入ったところ。
市民ホールと一体になっていることもあり、雰囲気は完全にホールのロビーです。
粗が見当たらないです。
この日は休日だったので役所はお休みです。平日はこの画像の左手側が市民の窓口となるようです。
吹き抜けの「シビックモール」を、中央公園側(西側)から振り返りました。
メチャクチャ豪華です。
右手側が「新日本造機ホール」。左手側が議会棟となります。
以上、生まれ変わった呉市役所の新庁舎でした。
呉市を取り巻く環境としては目先のコロナもありますが、
今年2月に日本製鉄の呉製鉄所が2023年にも全面閉所されるというショッキングな発表がありました。
約1000人の従業員があり、他の製鉄所への配置換えをする見通しはあるものの、
市として雇用を維持できるか、呉市内に生産年齢人口を繋ぎ止められるか、非常に厳しい課題・現実が横たわります。
大和を製造した、日本を代表する「ものづくり」都市の一つである呉市。
技術継承・雇用の維持は最優先です。明るい未来があることを望みます。
これまでに取材した、新築された自治体の庁舎のまとめです。
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役所も箱物にカネを掛ける時代じゃ無くなったと思う。来庁しなくてもオンライン申請やコンビニ取得も出来るし、テレワークも広がる時代に、役人が同じ場所で仕事するのも時代遅れな気がする!
>NOVA氏
役所は窓口業務だけじゃないし、この市役所は単なる執務空間だけではないと思うのですが。
東広島、三次、三原、尾道と同様に、呉も新庁舎になりました。
これらの市に共通するのは、
市町村合併で、編入した周辺の町の業務も一括して業務を行う必要が出てきたからで、
より大きく高層化された新庁舎になっています。
単に、老朽化で立て直しが必要ということであれば、同規模の建て替えだったでしょうが、
2005年頃から、市町村合併があった結果、大規模化された再開発となったっと思います。
呉は自動車社会が益々進み、今の町の中心は広地区になっています。
多くの住民は新広駅からすぐ行ける広支所に行きますし、車で行ける様なニトリやホームセンター、スーパー、飲食店、各ショップは広地区に多く進出しています。
呉地区にも海側にゆめタウン、駅裏にユニクロなどが入るレクレがありますが、呉駅~市役所のエリアは相変わらずの状態です。
豪華な呉市役所は開発当初から反対意見も多く、呉市役所は何年も廃墟と化してるそごう跡地に入って、呉市役所跡地は民間に売却して店舗など誘致して広地区に逃げた人を呼び戻せれば、という意見も多くあったようです。
結果として呉市役所は現場所で建て替えとなり、呉地区最後の望みだった中規模商業施設誘致の話は消え、そごう跡地は廃墟のまま、建て替えを推進した市長は次の選挙で破れました。
近年は新しく出来る建物と言えば、マンションかショートステイ施設、小規模葬儀会場です。
(あ!市役所前にコメダが出来ました!ここ10年で唯一の明るいニュースです!)
少し前の記事で呉駅周辺の再開発案が出ていましたが、メインはマンションで低層階にちろっと店舗が入るだけで、ハブとしての機能がメインの感じになっていますね。
これもイメージ図だけで何も決まっていないのですが・・・
この市役所建設に関しては、賛否両論あるので何とも言えませんね。
建物に関して言えば、流石は呉発祥の五洋建設が請負っただけあって、非常に洗練された素敵な市役所となり、呉の街のイメージに相応しいと思います。
個人的な考えで失礼しますが、これからも呉の街には、広島は好きなれない人でも、呉は好きだと思える街であり続けて欲しいと願っています。
広島の街は文化的には茶道の上田流に代表される質実剛健を美徳とする面と、旧陸軍の持つダーティーなイメージを合わせ持っており総じてバンカラなイメージなのに対して、呉は旧海軍の持つヨーロピアン風で洗練されたハイカラなイメージが強かった様に思います。
近年では、それが色褪せてきた感じが強いので、特に嫌広島の人々の受け皿として、呉には行ってみたい、帰りたい、住んでみたいと思える粋な再開発を地元及び地元発祥企業が一丸となって実現して欲しいと願っています。
まあ、国が勧める再編ですから、建て替えには、しっかりと予算がでると言うことでしょう。財政難での建て替えが必要な場合、そごうを一時的に使用して、先で建て替え、市役所跡地に商業を誘致したと思います。建て替え時期は、市の財政による。予算が無ければ、補強して長く使う。広島県庁みたいに。
長い目でみたら、周りを生かす為には、商業地が良かったかもしれません。駅前にはあまり商店街などがない。街は、人口の推移を考えると裏側だけの商業地域だけ十分。例を挙げると三原市です。
三原市は、新幹線が出来、駅前にドカンと2つの大きな商業ビルを建て賑わっていました。しかし500メトール
先と郊外(帝人跡)に7万の人口では、考えられない、二つの大きな商業施設が出来、駅前は、激減しました。西側のビルは、ホテルと市民プラザに。東側は、取り壊し、ホテルと駐車場、図書館、駐車場の一階がスーパー。あれだけの商業施設が食品だけのスーパーつになりました。これで正解と思います。どうしてか。周りに商店街が隣接し、街の規模から必要ない。西側に伸びる大半の商店街帝人ロードは、壊滅しました。港も近くです。
なを、本郷、久井、大和と合併していますが、本郷以外は、地形的に買い物は、無理です。他の所に行きます。
呉市と三原プラス尾道は、同じ25万商業地域で、呉は、江田島。三原、尾道は、世羅町を含む。共に島を含む。県の考えでは。尾道は、観光地で街中に大きな商業地域を望まない。服を含む小さなスーパー二つは、結局食料品のみになった。東側の離れた所にフジがあり、松永のゆめタウンも近くです。福山も近い。そして三原にも沢山の人が行く。距離があるのに。そうしないとあのショピングモールは、成り立たない。
呉は、駅前に商店街がない。
庁舎建て替えの莫大な費用を、そごう跡地に35階のビルにし、最上階を市民に開放。ホールは、今の所に建て替え、後は商業地という手もありました。三原市みたいに商業地から、行政関連と180度に転換という考えも大事です。どっちも付かずと言う事になる可能性も有ります。周りやよその県を見る事も大事です。
長くなりました。出来たものには、生かすという考えも必要。ライトアップとか、その他。
個人的な話で失礼します。呉には妻の実家があり、年末年始には必ず呉駅の港側レクレにあった「大和温泉物語」に行ってのんびり独りで過ごすことを恒例行事にして、そこに設置されていたPCからも何度もこちらのコメント欄に投稿をさせいただきましたが、そこもこのコロナ禍で閉館となり非常に寂しく残念に思っています。
広島駅及びその周辺が非常に大規模な商業施設を中心とした再開発事業に着手しており、広島方向の天応、吉浦地区ばかりでなく呉市全域がそのターゲットエリアとなるので、呉駅及びその周辺を同じ様な商業施設を中心とした再開発をこれからするにはリスクが大き過ぎると私も考えます。
現在の呉市は従来の旧市街地区と工業や郊外型商業施設よる商業も充実している広地区との双胴都市の様相を呈しています。
近辺の類似した都市として、規模は違いますが倉敷・水島地区ある倉敷市、港街としては門司、工業都市としては八幡・戸畑地区等がある北九州市をみると、クラボウ(倉敷紡績)工業跡地→チボリ公園→三井アウトレットパーク・日鉄(八幡製鉄所)→スペースワールド→イオンアウトレットモールの例があり、それらを参照して事例研究を積み重ねて日新製鋼撤退後の街づくりを慎重に検討するべきです。
岡山はちょっとという人でも倉敷は行きたいとか、北九州はちょっと、でも港街門司はとか。
広島はちょっと、でも呉は行ってみたい的な街づくりもありかと。
広には広島国際大学の広キャンパス、郷原に広島文化学園大学があり、黒瀬の広島国際大学本部、西条の広島大学本部、高屋の近畿大学工学部と東広島・呉間には大学が連なっており生産活動が活発化している広地区に若い世代の人々が集まるベースが整いつつあります。
大きなお世話かも知れませんが、個人的には呉の旧市街地域が急速に発展した明治末・大正・昭和初期の大正ロマンと呼ばれる先進で自由な気風が呉の街には似合う様に思います。海軍(海自)カレー・海軍珈琲・肉じゃが発祥の街(舞鶴も主張)等による街づくりは既になされているようですが、商工業等の産業基盤は広地区が担当し、旧市街については思い切ってそういった方向性で徹底した街づくりした方が良いと思います。
港街呉の再開発は広島広域都市圏の発展には不可欠ですね。