2020年秋 広島城天守閣から眺める広島市街地

およそ3年ぶりに、広島城に行ってきました。
広島城は広島市の都心部である紙屋町地区の北側に位置し、豊かな緑に囲まれた広島市中央公園の一部です。
戦時中に使われた遺構を含む史跡が残されているほか、城内の北西に位置する天守閣からは約40mの最上層から全方位を見渡すことができる貴重な展望スポットでもあります。

来城の目的はほぼこの眺望ですが(笑)、
2017年の夏以来、久々に上ってきましたので、
最新の広島都心を俯瞰した景色をお届けします。

 

前回訪れた時のレポート。

スクラップ・アンド・ビルドが加速する中心部や、大規模再開発が完了した広島駅周辺を収めるため、久しぶりに広島城に行ってきました。 天守閣は、広島市の中心部の北の端に位置し、近接する

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城南通りに面するお濠。

 

 

改めて、街なかにあり高層ビルが隣接するこのようなロケーションは特別だなと思います。
新型コロナによる影響は長引きますが、県内外から訪れる観光客の姿も見られました。

 

お濠から東側を望む。

東側は国の出先機関が集まる官庁街。その手前には市のバレーボール場が位置しています。
記事の最後にもう一度触れますが、広島市は広島城の活性化を目的とした「広島城基本構想」を今年5月に策定しており、
その中で、現在南側にある観光バス駐車場の機能をこのバレーボール場に移す方針を示しています。

 

護国神社を過ぎ、天守閣へ。

入場料は大人一人370円です。
常設展に加え、日本刀をテーマにした企画展も行われていました。

 

階段を上り最上部へ。

北東~南東側のパノラマです。

広島城といったらやはりこの景色!
いつ来ても、豊かな緑とその背後のビル群は本当に見ごたえがあります。

 

部分ごとに見ていきます。
南側。

紙屋町方面です。
基町クレドの左奥に、建設中の広島銀行新本店ビルがはっきりと確認できます。
その手前には紙屋町交差点に面する広島トランヴェールビルディングが確認できますが、
約60mと約100mということで、こうしてみてもおよそ1.5倍の高さであることが分かります。

さらにその左側に今年完成したオフィスビル「損保ジャパン日本興亜 広島紙屋町ビル」、
そしてその奥に千田町広島大学跡地の「hitoto 広島 The Tower」も確認できます。

このあたりの街並みは前回から大きく変わったところですね。

 

広島銀行本店 建て替えプロジェクト 2020.10(Vol.22) ガラス面積増大!外観は完成に近い状態に

 

続いて東側の八丁堀、広島駅方面。

 

2枚目は広島駅にレンズを向けています。
ちょうどこの画像の中央あたりが広島駅南口なので、これから日本郵政の「(仮称)広島駅南口計画」、として広島駅ビルの「ホテルヴィスキオ広島」の2棟の100m級高層ビルが姿を現してくると思われます。

日本郵政不動産は、広島駅南口に隣接する「広島東郵便局」を再開発する「広島駅南口計画(仮称)」の概要を、2019年5月に明らかにしました。 再開発ビルは、オフィスや店舗、駐車場を備
広島市とJR西日本、広島電鉄の3者は、広島駅南口広場の再整備を進めています。 従来の駅ビル「ASSE」は建て替えのため、2020年3月に閉館しました。 建て替えられる新ビルは地

 

北東側です。

トータテの「広島ガーデンシティ 白島城北」のツインタワーが目を引きます。

 

ここからは先ほどのパノラマの外の範囲です。
北側~北西側。

 

右手前に見える低層の建物が、広島市立基町高校。アニメの舞台になったりして有名ですね。
2枚目の画像中央には、建設中の19階建て分譲マンション「ソシオ・ザ・プライド新白島」
周囲のビルも高いので、こちらの市街地側から見るとこのようにあまり目立たないのですね。

地場の不動産デベロッパー「GAパートナーズ」は、 新白島駅近くの広島市中区西白島の東亜ビル(通称「白島ジャンボビル」)跡地に、 地上19階建て分譲マンション「ソシオ・ザ・プライ

 

最後に南西側、中央公園芝生広場の方向です。

 

1枚目の画像に噴水が写っていますが、広島市はこのあたりを含む一帯(三の丸)を賑わいの空間と位置づけ、イベントスペースや飲食店を整備する基本構想を打ち出しました。

 

広島城の観光バス駐車場移転へ 跡地へ賑わい施設を構想

 

【広島市】:広島城基本構想 [PDFファイル/706KB]

(上記資料より)

この基本計画に、記事の前半で触れた観光バス駐車場の移転も含まれています。
背景には、中央公園芝生広場に建設が決まったサッカースタジアムがあり、三の丸とスタジアムのある広場を結ぶペデストリアンデッキの建設も構想に盛り込まれています。

スタジアムはJリーグのサンフレッチェ広島の新本拠地となることから、試合日における賑わいの相乗効果を狙うほか、試合のない日についてもこうした賑わい機能を広島城に設けることで、
そもそも広島城が持つ観光地としての魅力を向上していくことも目的とします。

サッカースタジアムは、市と経済界、そして市民が連携し、2024年春の開業を目指して各所の協議がスタートしました。

広島城からはその建設の様子を見ることは角度的にできませんが、
取り巻く環境や人々の流れをまたここから見届けたいです。

スタジアムは、建設費の寄付を現在も広く募っています。
条件を満たすと、スタジアム完成後の内覧会に招待されるなどの特典もあります。
私もすでに実施しました。

興味のある方は、ぜひご検討ください。

【サンフレッチェ広島】:広島市 サッカースタジアム建設 個人寄附金募集へのご協力のお願い

 

24年開業目指す『広島サッカースタジアム』 配置案が中央公園西側に変更

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13 comments

  1. くま Reply

    東京に住んでいる、取引先の知人に、言われたことがあります。

    「広島城への行き方が分からない」
    「紙屋町からの行き方が分からない」

    広島に住んでいるとなんの事やらと思ってしまいますが、
    話を聞くと、その意味がわかりました。
    紙屋町から、広島城へ行くためには城南通りを渡らなければなりませんが、
    例えば鯉城通り、市民病院沿いを通って行こうとすると、
    城南通りを渡る横断歩道は無く、地下道がメインになっています。
    横断歩道はと言うと、本川寄りの
    ファミリープールと渝華園の間の横断歩道や、
    バレーボール場と、テニスコートの間の横断歩道まで行くことになり、
    その2つの横断歩道の間はは地下道しかありません。
    地下道は景色が見えないので、地上のどこに出るのか
    分かりにくく、慣れが必要です。
    特にグリーンアリーナ東側の地下道は比較的規模が大きく、
    案内図や、案内表示が設置されていますが、
    迷いやすい構造となっています。

    今回、サッカースタジアム建設で、ペデストリアンデッキが設置されるとの事で、
    かなりわかり易くなりそうで安心しました。

    昼間の広島城もいいですが、夜はライトアップされ、
    幻想的な風貌で、ネオンの光ともマッチしています。

    サッカースタジアムの完成で、周辺がどのように変わっていくか
    楽しみです。

  2. 名無し Reply

    市の中心の城の敷地にバレーコートやテニスコートはいらん バレーは体育館で出来る(グリーンアリーナがある)
    こんな事を何十年もほったらかす行政や市民は何を考えとるか意味わからん RCC も街中のビルに移転出来る
    とにかく他都市に比べて土地の使い方下手すぎ
    いちいちマイノリティ(少数)の意見を聞いてたら再開発なんか一生進まず町は衰退して死んでいくだけ
    もっとトップダウンでスピード感もって物事決めていかんと広島は何をするにも他都市に比べて遅い

  3. スラサン Reply

    広島城は老朽化で剥離など危険な状態みたいですね。耐震工事か再建かが検討されているとのこと。年間約30万の観光客で全員入場してるとして年間約1億の入場料収入を考えると耐震工事で騙し騙しの存続が現実的なのでしょうかね。希望としては小天守を含む木造復元ですが費用対効果的に厳しそうです。
    サッカースタジアム建設で広島城の露出も今より少しは増えるかもしれませんし、サッカースタジアムと広島城セットで観光客を呼び込めるエリアにするためにも広島城の細部復元は是非実現してほしいものです。

  4. @ Reply

    個人的にはせっかくなら木造で復元してほしいですね。
    原爆からの完全な復興というと、やはり建造当時と同じ木造で復元してこそだと思います。
    それか大天守は補強して小天守を木造で復元しても良いかもしれません。
    まあ広島市の財政状況では絵に描いた餅ですが、現状たいして投資していなくても年間30万人も人が集まっているので、お城の復元じゃなくても、旧大本営や御用地を復元するなど何かしたらお金をかけてテコ入れをしてもいいかもしれませんね。

  5. みみずく Reply

    ここは耐震補強ではなく、小天守を含めた連結式の天守として再建して欲しいですね。

    現存天守のような価値は認められないでしょうが、木造でオリジナルに可能な限り近い再建ができれば、50年100年先までの観光価値が生まれ、いずれ市民の誇りにもなり得るでしょう。

    なによりも、過去の歴史的遺産を尊重する街は、他の地域や国からの訪問者にリスペクトされると思います。

  6. 通りすぎのうさぎ Reply

    広島はお城の天守閣に登って見える風景がビルばかりで観光客には楽しくないと思います。

    福岡城や姫路城のように周囲に圧迫感のあるビルがない方がかえって城好きには萌える。

    広島城から見える景観は戦後の広島市の壊滅的な都市計画の象徴のようですね。

  7. どわいごろ@品川区 Reply

    コロナでなかなか広島に帰れないので、こういうレポートもいいですね!

  8. デコ Reply

    広島城は老朽化かま激しく、他の方も書かれていますが再建が急務だと思います。
    耐震工事をしても見た目の古さはあまり変わらないと思いますし、個人的には鉄筋コンクリート造で構わないので再建して欲しいです。
    その際は小天守も含めて建てて欲しいところです。
    広島城は小天守も含めれば非常に格好いい建築物だと思います。
    今のままではただの古い城です。

  9. OORer Reply

    広島城って小学生以来言ってないかもなって思いました。今みるとビルがこんなにも密集してるですね。皆さんも言ってるけど僕は大本営を復元して欲しいですね。首都移行は歴史的にも重要なのに広島じゃない人は知らない人も多いと思うので、

    • @

      他にも大本営の再建に言及してくれる人がいてうれしいですね。
      平和都市を標榜するなら、戦争といったワードがきっても切り離されないと思います。
      海軍の町として発展した呉は大和ミュージアムをつくり平和教育に貢献していると思います。
      陸軍の町として発展した広島も呉のようなミュージアムをつくることで、原爆資料館だけでない、より深みのある平和教育が行えると思うのでぜひ実現してほしいです。

  10. ああ Reply

    ペデストリアンデッキは、スタジアムまで伸ばして、ファミリープールの
    ほうのデッキとつなげればいいと思います。
    スタジアムから広島駅方面に向かう人の移動がスムーズになるし、観光客に
    とっても平和公園~広島城までの導線がわかりやすくなっていいと思います。
    人は歩道橋をあまり利用しないことからもわかるように、上ったり下ったり
    する移動は敬遠しがちなので、単に道路をまたぐだけのデッキだと不便に
    感じると思います。ただ、途中の広場に上り下りできるようにしておく
    べきだとは思いますが。
    見晴らしが良さそうなので、屋根はなくていいと思います。

  11. タミー Reply

    写真を拝見すると広島城を360度ビル群が取り囲んでおり、広銀本店ビル建設等で、城下町広島の高層化が一段と進んだ印象を強く受けます。

    広島広域都市圏内には広島城No.73(毛利元就の孫輝元築城)の他吉田郡山城跡No.72(広島城築城前の毛利氏の本拠地)と岩国城No.74(同じく元就の孫吉川広家築城)と3城が名城100選に、三原城跡No.172新高山城跡No.173(共に元就の三男小早川隆景築城)の2城が続名城100選に選ばれています。

    都心の平城である広島城とひっそりとした山城の吉田郡山城跡とのコントラスト、また吉田郡山城跡が ある安芸高田市は石見・芸北神楽の里でもあり観光客を呼べそうです。

    岩国城は山陽新幹線新岩国駅からも比較的近く、また岩国錦帯橋空港からも便利です。

    岩国城と広島城との中間に位置している世界遺産宮島は厳島の戦い(毛利Vs陶)の古戦場でもあります。

    新高山城跡(三原市本郷)は広島空港から近く三原城跡に三原駅が出来ており、新幹線からも在来線からも非常に便利です。

    両川(吉川氏・小早川氏)ゆかりの城は不思議なくらい共に空港や新幹線の便が極めて良い場所にあるので広報次第では城オタク・歴史オタクだけでなく幅広い層の人々に足を運んでもらえそうです。

    広島城1本の矢だけでは宿泊客を呼べなくても岩国城・三原城跡とで3本の矢、吉田郡山城跡・新高山城跡も加え5本の矢となれば毛利両川ゆかりの城巡りにじっくり腰を据えて滞在していただけるかもしれません。

  12. タミー Reply

    鯉党α様のレポートにある通り、お城の東側は国の出先機関が集まる官庁街を形成しおり、それら中国地方5県全域を統括しています。

    広島城築城当時の毛利氏は安芸・備後・周防・長門・石見・隠岐の7ヶ国と備中・伯耆の西側一部地域に及ぶ112万石を統治しており、現在の広島・山口・島根県全域と岡山・鳥取県の西端の地域にあたります。

    当然、広島の城下町づくりはそれらの地域を統括することを目的としています。

    毛利氏は最盛期にはその勢力範囲を中国地域全域から更に播磨から摂津に接するまでに広げ、四国・九州地方の一部地域にまで及ばせていました。

    広島城築城時期には毛利氏の統治範囲は最盛期と比較するとかなり減ってはいましたが、それでも毛利氏は当時としては、都である京や豊臣の大坂を除くと江戸徳川255万石に続く、会津上杉と並び100万石を超える石高であり、その中心都市に相応しい国内屈指の巨大城下町の建設に着手していました。

    広島城下から東西の地域へは西国街道が整備され、山陰方面へは現在の中区堺町で西国街道を分岐して宿場町の可部(現在の安佐北区可部)まで雲石街道が整備され、そこから石見街道と出雲街道に分かれていました。

    現在の山陽自動車道が西国街道にあたり、広島高速4号線・広島自動車道・中国自動車道・浜田自動車道・松江自動車道が雲石街道・石見街道・出雲街道にあたると言えます。

    時代は、大きく変わりましたが、広島城から見える最新の城下町広島の景色の写真を拝見していると、街づくりの方向性については原点に戻りつつある様に思えます。

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